土成探検記

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<<   作成日時 : 2008/06/08 11:37   >>

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林小城画像

林小城(別名:副与城) : 2008年4月

【城の概要】
 林本城とともに筑摩山地から薄川に張り出した尾根の上にあり、東北の林大城とは大嵩崎(おおつき)の谷を隔てて呼応し、城下の林集落に対している。 この城は標高796m、比高160mの位置にあり、尾根はほぼ南北に走っているため、東と西側は急斜面で、南と北側の備えとして主郭・U郭・V郭を主体に多くの曲輪や小郭群を配し、堀切・竪堀で防御を固めている。 主郭は三方に石垣を築き、その上に土塁を設けている。 特に主郭背後の堀切・竪堀は見事で、幅4m、深さ6mの堀切を掘り、掘り上げた土を主郭南側に盛り上げ、その土塁は衝立状で主郭平面から4mの高さがある。 このように主郭より高い位置になる尾根続きを遮断している。

【城の歴史】
 小笠原氏が築城した事に間違いはないが、正確な築城時期等は不明と言うしかない。 長年小笠原氏の根拠地として機能してきたが、武田氏の前にあえなく潰え、廃城となった。画像

【探検記】
 桐原城から少し西に行き、兎川寺交差点を左折して薄川を渡った所に「林城案内板」が立っているが、ここが徒歩の場合の林大城への登城口となっています。 それを左手に見て南下し、大嵩崎集落を目指して山に沿って600〜700mの所に案内板がある。 ご老人が自転車で通りかかったので、城址への道を聞いてみると「案内板の横の道を行き、右手の谷間に入って、その谷間の右手の山にある。 だけどあれは侍の住んでいた所だよ」と言うご返事だった。 後半の言葉の意味は深いものがありそうだが、土成人には判断しかねました。

 各サイトに登城路はなく直登りしかないとのことだったので、その覚悟で登り始めた所、谷間の右手の山に入ろうとする場所に木々に白いテープが巻いてあり、細いが路が続いているではないか! これ幸いとその路を進み、竪堀を2ヶ所横切って行き右下にも段々の削平部が見えるようになると、路は左折して小郭群を登って行く。 ここまで白いテープは要所要所に巻いてあり、非常に助かりました。 段々広い曲輪が見えてきて、石垣の一部が切岸に嵌めこまれたように見えてくる。 これがU郭の切岸のようです。 

 切岸から目をU郭の虎口に移すと、その上に主郭の石垣がぐるりと取り巻いているのに感動する。 主郭へは東側虎口から石垣を眺めながら入ります。 主郭はそれ程広い空間ではないものの、南側には高い土塁があり、背後の山側を警戒しているようです。 主郭から松本市街地を眺めると、木々に視界を遮られますが、意外に近いのを実感できます。 主郭の南側には大きな堀切と竪堀で尾根を切断し、その南側にも曲輪や堀切が続いていました。画像 

 桐原城と言い、この林小城と言い堀切、竪堀、素朴な石垣と、近世城郭以前の山城の典型の様な姿をそれ程苦労することなく、目にすることが出来る貴重な城址で、林大城のように車道を建設するような加工を加えることなく、このままの姿で後世に残してほしい。 登城道を整備して頂くのは有難いことですが。 何時も登城道の険しさに不平たらたらの土成人が主張すると怒られそうですね。 今回探検していない植原城など、行ってみたいと思いながらも登城時間(50分〜60分)が長すぎると断念していますから。 (写真上:主郭、中:主郭石垣、下:主郭を南側堀切より見る)

林小(はやしこ)城 : 松本市里山辺 【登城口地図】  【城址地図】  【地形図】


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