徳島城![]() 徳島城(別名:渭山城) : 2008年03月 【城の概要】 徳島城は阿波の領主蜂須賀氏の居城として、明治まで続いた近世城郭です。 この城は標高約61mの城山(渭山)と北を助任川、南を寺島川(現在のJR線路)に囲まれ、東には濠を設け、自然の地形を利用して築城されている。 山上の本丸・東二の丸・西二の丸・西三の丸、南麓の御殿、西麓には隠居した藩主等が住んだ西の丸からなる平山城です。 城域は東西505m、南北196mに及ぶと言う。 【城の歴史】 徳島城は古く南北朝末期に細川頼之が、渭山城として家臣の三島氏に守らせたと言い、その後も細川氏家臣が居城した。 天正13年に蜂須賀家政が阿波一国領主として一宮城に入城したが、四方を河海でめぐらした三角州上の要害の地で、領国支配の要衝として阿波随一のこの地に築城を開始した。 秀吉も小早川隆景・長宗我部元親及び比叡山の僧徒に城郭修築の援助を命じている。 明治後早期に建物は取り壊されたが、石垣や濠はそのままにして表門の鷲の門も残されたが、昭和20年戦災で焼失し、平成になって復元された。 ![]() 【探検記】 早朝に雨が降った様で、下が濡れている道を徳島城へと向かう。 城址の東北部から探検に入る。 朝が早いが散歩中の人々が結構いて、中には坂道を駆け下りてくる元気な人もいる。 直ぐ城山に取り付いて坂道を登って行くと高石垣が目に入る。 ここの石は横にスライスしたような筋の入った石で、徳島県の他の城址でも見る事が出来ました。 程無く本丸に到着、流石阿波一国の主城だけあって本丸は広いし、市街地の見晴らしは良い。 今日は黄砂の影響が心配されているが、朝方の雨で少しはマシなのか。 登って来たのは北側の虎口で本丸には東及び西側と3ヶ所の虎口がある。 東の虎口から降りることとしたが、そこの石垣の外側に数段新しい石垣が積まれて、緊急補強がなされているようで、珍しい光景でした。 本丸下の東二の丸に天守閣址の碑が建っている。 頂上の本丸でなく一段下に天守閣を設ける不思議な城です。 外様大名が幕府に遠慮したのでしょうか。 ![]() 麓のSL広場等を見て、再び西側の西三の丸方面の石段を上がって、西二の丸を経て本丸に再度登る。 本丸以外はどの曲輪も余り広くなく、居住は麓の屋敷を中心に営まれていたのでしょう。 麓の貝塚、大手門、鷲の門、御殿の石垣、堀と見所は多い。(写真上:本丸、中:西三の丸石垣、下:東二の丸) 徳島(とくしま)城:徳島市徳島町 【城址地図】 【地形図 C1】 ※ 地形図の位置:地形図を9分割(3x3)し、目的の城址がどの辺にあるかの目安とする。 上段(左から):A1・B1・C1、中段:A2・B2・C2、下段:A3・B3・C3 アルバムへ 続き 目次へ |
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