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引田城 引田城 : 2008年03月 ![]() 【城の概要】 引田城は引田湾の北側にある古い陸繋島の城山(標高86m)にあり、半島の付根が低湿地帯となった自然の要害である。 城は東の郭・北の郭・西の郭・南の郭に分類され、東の郭が城山の最高所を占め、海に向って突き出た最も東に位置する。 そこから西に低くなって窪地がありそこから北の郭、西の郭に分岐し、西の郭の延長に南の郭がある。 南の郭からは眼下に引田湾を見下ろす。 西の郭と南の郭の間に天守台があり、石垣は西及び北の郭を中心に引田の町から見える位置に築かれている。 城域は東西600m、南北500mと言われている。 【城の歴史】 この城は始め寒川氏の臣四宮右近が城主であったが、阿波の三好氏の勢力下に入り、三好長治の臣矢野駿河守が城主となった。 その後長宗我部元親に抗するため、十河存保が豊臣秀吉に援軍を求め、それに応じて秀吉は仙石秀久を引田城に入れた。 しかし仙石勢は元親に撃破され引田城から撤退した。 秀吉の四国征伐により引田城は再び十河存保に与えられたが、戸次川の会戦で戦死し、生駒氏が讃岐の領主となった時一時引田城に居城したが、宇多津の聖通寺城に移り、一国一城令で廃城となった。 【探検記】 引田の町へ入ると鄙には(失礼!)まれな交通渋滞に巻き込まれた。 「引田ひな祭り」が開催されている会場への車で渋滞していました。 登山口は城山の南西、山口水産の辺りにありそこに案内板等が設置されているのですぐ判る。 ここから山に登って行くと瀬戸内海の山々に特有の脆い花崗岩の道が続いている。 15分前後で西の郭石垣の場所に辿り着く比較的楽な城址です。 ![]() 西の郭によじ登り、藪の中で苦労しながら抜けると南の郭の標識があるが、その辺りの高まりが天守台ではないかと思うのですが。 なお、よじ登らなくても順路通り行けば南の郭には行けます。 南の郭からは引田港を真直に見る事が出来ます。 西の郭から北へ行くと東の郭と北の郭への分岐点が窪地の様になっている。 そこを右に行くと東の郭となり眼下に引田灯台を見る事が出来る。 左に行くと北の郭となり西側の急斜面に石垣を見る事が出来る。 ここの石垣が一番古いようです。この城は石垣が特徴で、引田の町に向かって高石垣を築き、見せる為の石垣を築いていると言われている。 それ程の高さでもなく言わんとしている事が良く理解出来ないのですが、それは色々な城の石垣を見る事が出来る現代人だから言えることかも知れません。 城址見学後、車は香川県を離れ徳島市に宿泊しました。(写真上:西の郭、下:北の郭石垣) 引田(ひきた)城:東かがわ市宮後 【城址地図】 【地形図 B2】 ※ 地形図の位置:地形図を9分割(3x3)し、目的の城址がどの辺にあるかの目安とする。 上段(左から):A1・B1・C1、中段:A2・B2・C2、下段:A3・B3・C3 アルバムへ 続き 目次へ |
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